【タイトル】
学校概要【本文】
学校名 江東区立元加賀小学校 校長 中村 太朗 所在地 〒135-0021 東京都江東区白河4-3-19 電話 03-3641-0601 学級数 26学級(全校児童 729名)令和6年10月現在 ■校歌 ■元加賀讃歌 ■アクセス ■もとかがっこのおやくそく 学校概要 江東区立元加賀小学校は、明治40年に開校した今年で117年目を迎える学校です。開校当時の学校は、木造二階建で、現在の校舎とは違う場所(深川区元加賀町15番地=現在の三好3丁目5番地)にありました。この校舎は、大正12年9月1日の関東大震災で全焼しました。その後、昭和2年に新校舎ができ、現在の場所(江東区白河4-3-19=当時の東大工町48番地)に移転しました。この校舎は、区内では東陽小学校に次ぐ2番目にできた鉄筋コンクリート造りで、スチーム暖房用の煙突もある当時ではモダンなものでした。現在の校舎は、昭和49年にできたものです。その後耐震補強工事を経て、平成22年度には増築工事が終了し、隣接する白河子供図書館と一体となり、江東区で最初の「図書館と一体になった小学校」となりました。 ○併設施設 ・江東きっずクラブ元加賀(平成23年度開設) 江東きっずクラブは、学校施設を利用し、放課後や夏休み・冬休みなどに、児童が安全で安心してのびのびと過ごせる居場所・生活の場所です。放課後子ども教室事業の機能をもつA登録と、学童クラブ機能をもつB登録があります。A登録には定数はありません。B登録の定数は142名です。 ・なかよし学級(昭和24年開設) 本校の「仲よし学級」は、昭和24年に心身障害児教育学級として、江東区で一番最初に開設されました。当時東京都でも6校しかなく、まさに草分け的な存在でした。その伝統を引き継いで、こどもたちは伸び伸びと仲良く学習しています。 ・元併設施設の動向 【元加賀幼稚園】元加賀幼稚園は、昭和44年に本校の併設幼稚園として校舎内に開設されました。昭和60年に、現在ある「プラザ元加賀」内につくられた新園舎に移り現在に至っています。プラザ元加賀の敷地内に移った時に、独立園にする動きもありましたが、平成17年度まで、元加賀小学校の併設施設として、校長が園長を兼務してきました。しかし、園児数が増え始め、定数を超える園児を抱えるまでに発展しました。また、大阪の池田小学校の不審者の侵入によるショッキングな事件を発端に学校・園における危機管理体制の強化が図られるようになりました。このような背景により、平成14年4月1日より独立園として再出発しました。独立園となりましたが、元加賀小学校の兄弟幼稚園として更に交流を深め、ともに発展することで地域の教育向上に貢献していきたいと考えています。 現代美術館 都立木場公園 周囲の川と緑道 東京の下町、深川地区の北部に属し、学区域には、東洋でも最大級といわれるほどの規模をもつ東京都立現代美術館や日比谷公園の1.5倍の広さといわれる都立木場公園があります。 本校の東には、大横川があり、春には見事な桜並木が夢のような美しい景観を作り上げます。北には、「プラザ元加賀」という大きなマンションや、江戸時代から明治時代にかけて物資を運ぶ重要な水路であった小名木川があります。南には、現代美術館や木場公園があり、仙台堀川公園が東西に延びています。西に少し足を伸ばすと、江戸時代末期の深川佐賀町の様子が実物と同じ大きさで再現されたセットもある深川江戸資料館があります。 また、学校の周りには、昭和3年に造られたときから既に水洗トイレがあったという当時の超モダンアパートといわれた同潤会アパートが幾棟も並んでいました。関東大震災の震災復興事業の一環として建てられたものです。この建物は、歴史もさることながら、建物の構造でも専門家が注目する様式を備えています。この同潤会アパート群は、地域再開発計画により、高層マンション2棟を含む新しいマンションに生まれ変わりました。本校が現在の地に建てられたのが、昭和2年ですから、75年間にわたる長きにわたっての近所としての関係を築いてきた存在でした。本校をとりまく環境も大きく変化しています。 校名の由来 初代校舎 2代目校舎 現在の校舎 明治40年、東京市深川区元加賀町15番地に木造2階建ての校舎が建てられ、その地名にちなんで「元加賀」という校名がつけられました。今は、元加賀町という地名はなく、三好3・4丁目となっています。 元加賀町という地名は、その前の元加賀新田にちなんでいます。元加賀新田は、元々海辺の湿地でしたが、1698年に幕府の手で埋め立てられ、そこに松平加賀守の下屋敷(ひかえの屋敷・別荘のようなもの)がつくられました。下屋敷が移転した跡地を、元=加賀=新田と呼ぶようになりました。 校旗・校章について 現校旗 校章 現在の校旗は、3代目です。この校旗は、80周年を記念し、昭和62年に作られたものです。初代の校旗は、1周年記念として校歌と一緒に作られましたが、大正12年の関東大震災で校舎もろとも焼失しました。2代目は、開校25周年を記念して、昭和7年に校歌と共に作られ、いたみのひどくなるまで55年間、各種学校行事に参加し続けました。 この3代にわたる校旗の校章は、少しずつ違ってきました。初代の図案は、菱形の曙光に囲まれ、「元」は楷書体でした。2代目は、丸形の曙光になり、「元」の字体も丸文字で全体を月桂樹に囲まれたものになりました。3代目は、2代目の曙光に、字体その他は初代のものに戻したデザインとなっています。【添付ファイル】
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